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こんにちわ!ラーテルです。

今週は国際Aマッチウィーク。世界の各大陸でW杯ロシア大会出場権をかけた戦いが行われています。

日本代表は既に8月31日のアジア最終予選VSオーストラリア戦に勝利したことで、アジアの代表としてW杯出場権を獲得していますので、この国際Aマッチウィークにキリンチャレンジカップ2017として、6日にニュージーランド代表、10日にハイチ代表との親善試合をすることになっています。

この時期のマッチメイクについては、世界中が重要なW杯予選の最中であることで、対戦相手を少ない選択肢から選ばざる得なかった事情があったのでしょう。対戦相手を見ても良く分かりますよね。

ニュージーランドはオセアニア予選を1位通過、今は南米5位とのプレーオフ待ちの状況。ハイチは北中米・カリブ海の3次予選で既に敗退。両チームともに「強化」という面では日本代表の相手として相応しいかといえば、かなり疑問です。

キリンチャレンジカップのチケットは売れていない

豊田スタジアムで行われるニュージーランド戦こそチケットは完売したそうですが、日産スタジアムでのハイチ戦のチケットはかなり売れ残っている模様です。

以前であれば「日本代表」の試合とあれば、相手がどのチームであってもチケットは売れていましたが、観る人たちも賢くなりましたね。

かく言う私も日本代表の試合をわざわざ横浜まで観に行く気には全くなりません。

まず、日産スタジアムでの開催という時点で、相当思い入れのある試合でなければ「サッカー」を観に行く気にはなりませんよね。

ピッチの周りをトラックが囲んでいて、その上スタンドの傾斜も緩やか。最後段席からはピッチの反対側で起きていることがほとんど見えませんし、手前側のピッチであってもかなり遠い。

その上、日本代表の相手はそのユニフォームの色すらも知らないハイチ代表。

チケットもJリーグに比べて高額だし、この試合に日本代表が勝っても負けても何の影響もない。

これじゃあ誰も集まらない、当然でしょう。こんなの誰も騙されませんよ。

むしろ、豊田スタジアムのチケットが完売したことの方が驚きです。

W杯ブラジル大会での惨敗で完全に醒めた

日本代表に対する「してはいけない」期待

私は幼い頃からず~っと日本代表を応援してきました。

でも、2014年のW杯ブラジル大会で日本代表が惨敗した時にその思いが一気に醒めました。

あの大会に向かっていく日本代表には華があったと思います。いや、華があるように見えていました。

そして私も本当は「してはいけない」期待をしてしまった。

情けないですけど、マスコミの煽りに乗っかってしまったということです。

さしたる根拠もないのに、日本代表が「成功」することを信じてしまいました。

実は日本代表への「してはいけない」期待を私がしてしまったのはこれが二度目。

2006年W杯ドイツ大会の時に続いてです。

ただ、あの大会では日本代表が惨敗したことよりももっと大きな衝撃(中田英寿選手引退)があって、自分が「してはいけない」期待をしていたことをすっかり忘れてしまっていました。

それから8年経ち、私は再び間違ってしまったのです。

「いい試合」すら出来なかった日本代表の惨状

「日本代表は完璧な準備が出来ている」

「3点獲られても4点獲る力がある」

「必ずドラマティックな試合が見られるはず」

さすがに、「決勝トーナメント進出は確実」といった勘違いは起こしていませんでしたが、「今回の日本代表は必ず強豪相手にいい試合を見せてくれるだろう」という確信は持っていました。

しかしながら、それらは全て幻想だったと気づかされます。

「いい試合」どころか、1人少ない相手に対してだって攻め手に欠ける日本代表の惨めな姿。

期待をかけてしまったばかりに、その時のショックは本当に大きかった。

あの時に私の日本代表に対する思いは完全に醒めてしまいました。

「日本代表人気」のかげりは決して悪いことじゃない

日本サッカー界のトップコンテンツといえば、今でも圧倒的に「日本代表」であると言えるでしょう。

ニュージーランド戦のチケットが完売した事がそれを良くあらわしています。

ドーハの悲劇からジョホールバルの歓喜、そして日韓共催W杯と、日本代表を中心とした日本サッカー界の成長はすさまじかった。

しかし、この日本代表人気に依存したサッカー界の成長には間違いなくかげりが出てきています。

試合のテレビ視聴率が下がっているとか、チケットが売れ残っているとか、そういう現象面にも勿論あらわれていますが、一番それを実感させられるのが日立台です。

そこに集まる人たちにとって「日本代表」とは「日常のサッカー」とはかけ離れたもの。

そうしたサッカーの固定ファン層にとって、一番関心があるのは応援している「おらが町のチーム」

柏レイソルの選手が日本代表に招集されても、もろ手を挙げて喜ぶ空気はないでしょう。

何故か?それは簡単です。

「柏レイソルの選手は柏レイソルの為に活躍して欲しいから」

サッカーとは、本来こうして「日常」に寄り添うべきものなのです。

「日本においてサッカーは特別なものでなくなってきている」これが意味することは「日本においてサッカーは日常となってきている」ということでしょう。

少しづつ日本代表の役割は終わりに近づいている。これは決して悪いことではありません。

サッカー先進国の実情を見れば想像ができます。

どの国でもサッカー人気の礎は「クラブチーム」にあると言えるからです。

「日本代表」はサッカーの世界への玄関としての意味はある

とはいうものの、依然として日本代表がサッカー界への玄関として存在していく意味はあるでしょう。

誰もが知っている選手、監督、そしてチームの歴史。

これは新しいファンをサッカーの世界に入ってもらう時に非常に有利な要素です。

常に臨時で「営業」しているという点もとっつきやすい。ファンの間で先輩・後輩も生まれにくいですしね。

日常的に「営業」しているJクラブではなかなかそうはいかない。

ただ、長い目で見れば「臨時営業」より「日常営業」の方が圧倒的に力があるはず。

何んといっても「日常生活」にグイグイ入り込んできます。柏レイソルが!アントラーズが!レッズが!!

「もう騙されないぞ!」と日本代表のことを冷めた目でみながらも、新しいファンやお金を生み出す装置としては期待していこうと思います。

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